ネグリジェ美女のジャケ写にみるギリギリセーフなエロポーズ
【第1回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■もの欲しそうなネグリジェ美女が妄想をかき立てる
第一回目は、「とりあえず」ネグリジェ美女たち。なぜ「とりあえず」かというとネグリジェ美女ジャケはあまりに多く、一回では済まないのだ。再度、登場するかもしれない。
「ネグリジェなんて、そうエロくもないじゃないですか」
という方も多いかもしれないが、1950年代はアメリカが最も保守的になり、倫理に厳しくなった時代。映画業界では「ヘイズ・コード」という細かな倫理規定が戦前につくられたが、もう、戦後のハリウッドは、このコードにひっかからないか戦々恐々としていた時代だ。
キスはありだが、「不倫」を匂わせるキスはNGとか。もちろんセミヌードもダメ。乳首が出た映像があれば、配給前にカットされた。いや、脚本段階で「ヘイズ委員会」が(メジャー・スタジオの)全映画を検閲していたのだ。
そんな時代、レコードのジャケットは? というとやはり絶妙にヌードは回避された。乳首はダメだけれど、透けるのは少しはいいよ、とか。太ももは「健康なセクシーさ」だとか。
だからレコード会社側も写真撮影にチカラを入れた。美人がセクシーなポーズを取って、しかも購入した夫が家庭に持って帰って許されるように、少しは品の良さも考えて。さらに薄衣をまとって、できるかぎりヌーディなら最上だ。
ダイレクトにネグリジェ写真を押してくるジャケットもある。美人でセクシーな表情ならこれでも十分。だが、これはちょっと下半身狙いで品とか知性に欠けるかもしれない。
そこでレコード会社は企画する。美女がネグリジェに着替えて、ベッドに入る前にすることは? タバコを吸うのも良いが、もっと品がありそうにみえるのは?
そうだ、読書だ!
こうして美女がネグリジェ姿で読書するという設定がつくられる。タイトルは? 「まどろみの時間」とか「リラックス」とかつければいいのだ。どのみちタイトルが違っても音楽のほうは、そう変わらないのだから。
これならサバービア(郊外住宅)で、消費の主導権を握っている「家庭の主婦」も夫の散財を大目にみてくれるかもしれない。で、ジャケットを見た妻は少しは焦って、もう一度、若かりし日のセクシュアリティを取り戻そうとしたりもするのだ。それはまた、別の回に詳細を。
ネグリジェ美女が読書をしたり、そうでなかったりでも、どのジャケでもある程度の露出やエロさは保たれる。
写真を掲載した「SLUMBERTIME」の女性は、とてもセクシーな表情で、まるでハーレクイン・ロマンス(1957年くらいから恋愛小説に特化して出版)でも、読んで嘆息しているかのようだ。
「Relax with VICTOR HERBERT」の美女は、ひとりなのになぜこれほど胸をはだけているのか? 「LOVE MOODS」の女性は、「SLUMBERTIME」での本が、枕になってしまった感じ。胸の谷間も跳ね上げた脚も、これはけっこうなエロではなかったのか?